2017年5月17日水曜日

コンテンツは少し盛った方がいい

書籍にせよ、ブログにせよ、コンテンツを発信する場合には、少し盛った方がいいです。
「こんなに便利なんだよ」「こんなに凄いんだよ」「こんなに素晴らしいんだよ」…と、言った感じに。

それぞれが配信するコンテンツは、それを読む者から時にはお金を、時には時間を奪っています。
読者から奪う者がある以上、何かお得感がなくては読者の読後感があまりいいものではなくなってしまいます。

結果、その人のコンテンツは読まれなくなるという…。

だからこそ、この盛るということをしなくてはならないのですが、日本人は非常に苦手のようです。
奥ゆかしさが美徳という文化的な側面があるのかもしれません。

でも、実は、この盛るということをした方がいい理由は、他にもあるのです。

コンテンツを発信して、何かを伝えようとしたとき、淡々とした解説のようなコンテンツになることが多くありませんか?

何かを解説しようと思うと、つい目の前にあることをどう伝えるかばかりに気がいってしまって、読者不在の自分本位なコンテンツになることが非常に多くなります。
一生懸命に伝えているつもりでも、伝わらない…。

理由は簡単。

淡々とした解説というのは、よほど困っていない限り、読みたいと思いません。
そもそも、淡々とした解説は面白くないですからね。

で、そこで必要なのが、この盛るということ。

同じ解説をするのでも、端に解説をするのではなく、それをした結果、「こんなに便利なんだよ」「こんなに凄いんだよ」「こんなに素晴らしいんだよ」…となっていると、自然と読者に向いたコンテンツになっていきます。
読者に伝えるべきは、解説ではなく、その結果。
そして、その結果を伝えるための、解説。
そう考えると、どうやって読者にこの魅力を伝えようかを考えるようになり、その淡々とした解説に命が吹き込まれます。

すると、読んでいる方もワクワクしながら読むことができますし、それを読んだ結果、得られるものがあるような気になるわけですから、読後感も満足してもらい、また読んでもらえるようになるということです。

実際、いろいろな書籍を編集してきて思うのは、奥ゆかしい人の原稿ほど淡々としていて面白くない。
読んでいても、やりたいと思わないんですね。
逆に、情報起業家さんの原稿は日本語としての出来はさておき、何だか読んでいてワクワクするんですね。
早くやりたくなるんです。

この違いを考えた時に、もっと盛るということを意識することで面白いコンテンツになる人って、意外に多いんじゃないかなぁ〜と思った次第です。

ただ、盛りすぎると、逆に不快感を与えますし、発信者への不信感が芽生えかねないので、注意しましょう。
何事も適度が大事ということで。

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